カイカイ・カイラー (Hazen Shirley "Kiki" Cuyler, 1898年8月30日 - 1950年2月11日) は、アメリカ合衆国ミシガン州出身のプロ野球選手(右翼手)。右投げ右打ち。
主にパイレーツとカブスで活躍した俊足巧打の外野手。ニックネームのカイカイ (Kiki) は、子供の頃、名字のカイラー (Cuyler) をどもりながら言ったのがその元だと伝えられている。
経歴
1921年9月にミシガン・オンタリオ州リーグのベイシティ球団からピッツバーグ・パイレーツに昇格。最初の3年間は殆ど試合に出ていなかったが、4年目の1924年に117試合に出場し、打率.354、165安打、32盗塁の活躍をしてパイレーツのレギュラー外野手となり、同年MVPの候補にもなった。
次の年の1925年、カイラーは持ち前の足の速さとバッティングの上手さを発揮する。この年の144得点はリーグ最多となったのをはじめ、41盗塁は前年に続いてリーグ2位、打率.357、安打数220を記録、打点も100打点を超え勝負強さも発揮した。8月28日のフィリーズ戦では、当時狭いことで有名だったベイカー・ボウルで2本のランニングホームランを放っている。同年出場したワールドシリーズでは6打点を挙げてパイレーツのシリーズ制覇に貢献、リーグのMVP投票では2位となった。
翌1926年は2年続けての最多得点に加え、自身初の盗塁王にもなったが、1927年のシーズンオフに、パイレーツからシカゴ・カブスにトレードされた。カブス移籍後の1928年シーズンは打率3割を割ったものの、37盗塁で2度目の盗塁王となる。1929年と1930年は「100得点、100打点、30盗塁」を2年続けて記録し、前年とあわせて3年連続の盗塁王にもなっている。
シカゴに1935年まで在籍後、シーズン途中にレッズに移籍、1938年にブルックリン・ドジャースで現役を引退する。翌年からはマイナーリーグのコーチを務めた後、1941年から3年間はコーチとしてカブスに復帰している。最後にメジャーに関わったのは1949年のレッドソックスで、翌1950年に51歳でミシガン州にて死去。1968年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。カイラーはメジャーリーグでシーズン25本以上の三塁打を放った最後の打者になっている。
詳細情報
年度別打撃成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 「-」は記録なし
- 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す
タイトル
- 盗塁王:4回 (1926年、1928年 - 1930年)
記録
- 最多得点:2回 (1925年、1926年)
- ワールドシリーズ出場:3回 (1925年、1929年、1932年)
- オールスターゲーム出場:1回 (1934年)
- サイクル安打:1回 (1925年6月4日)
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 C
外部リンク
- Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 打撃成績(レトロシート)




