マクシミリアン・"マックス"・アレクサンダー・チルトン(Maximilian "Max" Alexander Chilton, 1991年4月21日 - )はイギリス・サリー州出身のレーシングドライバー。父親グレアムは、2012年現在エーオンの副社長。兄トムは2014年現在WTCCに参戦するレーシングドライバー。 2017年8月12日に結婚した。
プロフィール
初期の経歴
2010年よりGP2アジアシリーズにバルワ・アダックスより参戦。GP2メインシリーズではオーシャン・レーシング・テクノロジーより参戦した。
2011年はカーリンよりGP2メインシリーズ、GP2アジアシリーズに参戦。
2012年はマルシャF1チームのジュニアチームであるマルシャ・カーリン・モータースポーツよりヤングドライバープログラムの一員としてGP2に参戦。ハンガリーラウンドでGP2初優勝をポール・トゥ・ウィンで挙げている。
F1
2012年のF1日本GPよりマルシャF1チームのリザーブドライバーに昇格し、アブダビGPでは金曜フリー走行1回目に出走した。
2013年はレギュラードライバーに昇格した。予選、決勝共に同じ新人のチームメイトのジュール・ビアンキに遅れをとる場面がほとんどだったが、後半からは予選タイムもかなり近づき、決勝では勝つこともたまに出来るようになるなど、進歩を見せた。またこの年は新人ドライバーとしてはF1史上初めて、シーズン全てのレースで完走を果たした。
2014年もマルシャに残留。開幕から相変わらずの安定感で完走を続けていたが、第7戦のカナダGPの1周目にチームメイトのビアンキとクラッシュを喫してしまい、デビューからの連続完走記録は25戦でストップした。その後は完走を続けたものの、シーズン中盤辺りからライバルのケータハムと共に資金難に陥り、また日本GPでのビアンキの死亡事故(クラッシュ直後しばらくは意識不明の重体)も重なった結果、ロシアGPを最後にケータハムと共にチームは撤退した。なお最終的にはモナコでビアンキが獲得した9位入賞の2ポイントを、ザウバー、ケータハムが上回れなかったため、コンコルド協定によって、チームランキング9位相当の賞金をチームは獲得できたため、翌年チームはマノー・レーシングとして参戦することが決まった。しかしチルトンは残留できず、チームを去った。
インディ・ライツ
2014年を最後にF1のシートを失い、渡米。インディカー・シリーズの下位カテゴリであるインディ・ライツシリーズにカーリンより参戦している。 第12戦アイオワで初優勝を飾った。
WEC
2015年よりFIA 世界耐久選手権に復帰する日産よりフル参戦が発表された。ただし、後に日産はマシン開発の遅れから開幕戦、第二戦の参戦を見送り。ル・マン24時間レースからの参戦となる。
エピソード
- 2013年にルーキードライバーとしてF1史上初めてデビューシーズン全戦完走を達成し、以降も完走を続け25戦までデビューからの連続完走記録を伸ばし歴代1位であったが、2017年アメリカGPにおいてエステバン・オコンがデビューからの26戦連続完走を達成し、チルトンの記録を更新した。ただしオコンは2016年途中でのデビューであったため、「デビューシーズン全戦完走」は2022年現在もチルトンが唯一である。
レース戦績
イギリス・フォーミュラ3選手権
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
GP2シリーズ
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
GP2アジアシリーズ
(key)
F1
(key)
アメリカン・オープンホイール
インディ・ライツ
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
インディカー・シリーズ
(key)
インディ500
FIA 世界耐久選手権
ル・マン24時間レース
脚注
外部リンク
- Max Chilton official website
- Max Chilton official twitter




