藤原 博定(ふじわら の ひろさだ)は、平安時代後期の貴族、雅楽家。八幡寺の寺主である行実の子で、藤原北家良門流、兵庫頭・藤原知定の養子となる。官位は従五位下・散位。
経歴
民部丞在任中の寛治元年(1087年)に従五位下に叙爵。民部省(民部大輔を務めたとも)に出仕していたことから、民部大夫と称された。管絃の道に長じて応徳4年(1087年)の石清水臨時祭などでは陪従の役を務め、楽所預に任命された。琵琶を藤原孝博に伝えたのをはじめ、他に箏・篳篥・横笛および和歌を伝えて藤原宗忠はその日記で「一道の長者」と評している。康和5年12月8日(1104年1月7日)に備中国で卒去した。年は40余りであったとされる。『古今著聞集』には太鼓の演奏を巡る大神基政との逸話がある。
系譜
- 父:行実(養父:藤原知定)
- 母:不詳
- 妻:不詳(生母不明の子女)
- 男子:藤原定俊
- 男子:藤原博泰
- 養子:藤原孝博(1070-1154)
脚注
参考文献




