牧野 成里(まきの しげさと)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・旗本。若江八人衆の一人。

生涯

弘治2年(1556年)、三河牧野氏の一系統である今橋牧野家(田蔵系)・牧野成継(田蔵)の子として誕生した。

はじめ滝川一益、織田信雄に仕えたが、いずれも没落したため長谷川秀一の家臣となる。しかし秀一も文禄の役で陣没し、豊臣秀吉の命令で亡き主君の代理として長谷川軍を指揮した。その功績が評価され、帰国後は秀吉の甥・秀次の家臣となる。文禄4年(1595年)に秀次事件で秀次が切腹すると石田三成の家臣となり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに参加したが、三成が敗北すると池田輝政の許に逃げ延びた。

慶長8年(1603年)、徳川家康より罪を許され、徳川家の旗本として迎えられ、下野国簗田に3000石の知行を与えられた。家康隠居後は秀忠に仕え、慶長11年(1606年)に御持筒頭に任じられた。

慶長19年(1614年)4月20日、死去。享年59。

脚注


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