加藤 俊夫(かとう としお、1885年(明治18年)8月1日 - 1943年(昭和18年)6月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。

経歴

愛媛県新居郡新居浜村(現在の新居浜市)出身。加藤省吾の長男。

東京正則中学校、日本大学専門部法律科を修業。1908年より広島市に出て、日の丸電線株式会社広島出張所を経営するなどし、さらに広島市場信用組合専務理事を務めた。

広島市会議員、同副議長、同議長、広島県会議員、同議長を歴任する。1942年の総選挙(いわゆる翼賛選挙)では広島1区(当時)から非推薦で立候補して当選した。当選後は翼賛政治会に入り、大政翼賛会広島県協力会議長、同中央協力会議員となった。

翌1943年に死去した。

人物

加藤民部少輔(居村御代島にその城跡がある)の子孫である。1893年、家督を相続する。愛媛県在籍で、住所は広島県広島市宇品町。

家族・親族

加藤家
  • 祖父・庫二 - 旧西条藩主より大庄屋格を申付けられ、御代島並びに魚市場を拝領し、維新後里正、後戸長をつとめる。
  • 父・省吾 - 加藤家に養子となる。
  • 母・マサ(1862年 - ?、祖父・庫二の長女)
  • 妻・ノブ(1897年 - ?、島根、伊藤為太郎の二女)
  • 姉・コト(1884年 - ?、藤田若水の妻)
  • 妹、弟
親戚
  • 藤田若水(弁護士、広島市長、衆議院議員) - 姉の夫。

脚注

参考文献

  • 『愛媛県人物名鑑 第五輯』海南新聞社、1924年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 『翼賛選挙大観』朝日新聞社、1942年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

加藤氏の辞職許可/衆院本会議 加藤氏の議員辞職願を許可した衆院本会議 加藤紘一議員の議員辞職願を許可した衆院本会議。左下は加藤氏の議席=9

個別「加藤建夫?」の写真、画像 祖父の写真から アルバム

【平成28年鬼籍・政治家編】「加藤の乱」「友人の友人がアルカーイダ」…リベラルから保守まで戦後政治史に名を残した政治家逝く(3/3ページ

「世界の記憶」改革案 加藤長官「日本の主張が盛り込まれ歓迎」 産経ニュース

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