長 奥麻呂(なが の おきまろ、生没年不詳)は、飛鳥時代の官人、歌人である。名は意吉麻呂、興麻呂とも表記される。

経歴・人物

経歴については不明な部分が多いが渡来系として生まれ、初めは官人として活躍したといわれている。『万葉集』によれば、699年の文武天皇の難波行幸や701年(大宝元年)の文武および持統上皇の紀伊行幸に携わったとされている。

702年(大宝2年)頃には文武、持統の三河行幸にも携わったとされている。この時に詠んだ和歌や宴席にて題として与えられた即興の狂歌等14首からなる短歌が、『万葉集』に収録されている。なお、行幸の際に詠んだ和歌は6首残されている。

  • 一二の目 のみにはあらず 五六三四 さへありけり 双六の頭 - 奥麻呂が得意とする種類の和歌が強調されている。第八首、『万葉集』16巻に収録。

脚注

外部リンク

  • 長奥麻呂(長意吉麻呂)千人万首 - 朝日ネット

博多濃麻呂[二子玉川] VOL.31 YouTube

麻呂の気紛れなる戯言

【だまりゃ!】スカパーTBSチャンネルで麻呂登場!! 劣化速報

小麻呂 GANREF

麻呂ってみた・∀・)ノ / ちゅるる さんのイラスト ニコニコ静画 (イラスト)