新納 忠光(にいろ ただみつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武士。島津氏の家臣。

略歴

新納忠堯の嫡子として誕生。

父・忠堯は忠光の元服前である天正11年(1583年)に肥前国龍造寺氏に与する深江城を攻めた際に討ち死にした。天正14年(1586年)8月22日、忠光は肥後国八代にて島津義久の加冠により元服すると、腰物並びに父と同じ次郎四郎の名を賜った。

天正15年(1587年)に島津氏が豊臣秀吉に降伏すると、忠光は天正18年(1590年)に祖父・新納忠元よりの人質として上洛し伏見に住んだが、忠元の弟・忠佐が代わりとなったため帰国した。

慶長8年(1603年)、死去。名跡は、叔父・忠増の嫡男・忠清が、忠光の娘婿となり継いだ。

出典

  • 『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)

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